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お金の私論。
2002年8月18日何か久振りの更新です。
懐かしすぎて、何か照れますね。(ヲイヲイ)
壱
夏が終わります。
何事も無く終わります。
結局、今年も仕事三昧で何処にも遊びにいけませんでした。
唯一の楽しみは「サマージャンボ」くらいでしょうか?
当たれば3億円ですよ「さんおくえん」。
夢はやっぱり大きい方がいいね。
そこで思った事。
貧乏人の悩みの9割は金持ちになれば解決すると言われている。
だが、金持ちの悩みの9割はお金で解決出来ない悩みらしい。
スカルは今、金に苦しめられているので、やっぱりお金持ちになりたいな。
(でも、たかだか3億円程度のお金持ちでは先がしれているけどね)
弐
引き続き「お金論」。
「お金」の存在を再認識した。
窮地の陥り、ただなんとなく持っていたお金の存在は、ヒトが思うほど偉大だ。
なぜならば、「これ」が無くては、人間として存在している事すら不可能だからだ。
残念ながら、この世の中は理想主義者が言う程きれいでご清潔な世界ではないし、楽観主義者が言うほど気楽に生きれる世の中でもない。
でも、更に残念な事に、破滅主義者が言うほどこの世の中は壊れていない。
そう、この世の中は「お金」と「核」で今の均衡を保っている。
ま、これが理想とか目に見えないもので支配されていたのなら、もっとゾっとしないけどね。
でも、この世はそんな単純ではない。
つまり、「金」と「核」を両方持ったからって決して幸せにはなれないからである。
特に「核」なんて健康に悪いし、持ってるだけでいろんな組織から付けねらわれる。
「金」もそうだ。
大金持ちは、金を増やす為に使う。
大金持ちの思考は庶民のそれと全く違う。
でも、その思考が果たしてその人を幸せにするかというと、これがそうでもない。
大金持ちになるには、それなりのセンスが必要である。
無知は決して大金持ちになれない。
金に関するあらゆる知識と運用方法を日々考えなくてはならない。
新聞・インターネット・雑誌・人・・・あらゆるメディアをむさぼり尽くし、足りない知識を補う。
当然、そんな事は好きでなければ出来ないので、
多少強引にでも趣味にしてしまおう。
日々の情報に耳を傾け、国内情勢・国際情勢・隣国の動向・石油産油国地域での政治情勢などの、社会現象をいち早くキャッチし、すぐさま自己資金を動かせるように準備しておく。
その資金は共有のものより、自己のものの方が当然いい。
共有とは社会性が強いもので、サラリーマンの云う給料。
自己とは、自分が好きに使えるもので、俗に云う小遣い。
それと生活を変えるのは当然であろう。
金が身につく生活に変える。
簡単に言えば「無駄な事をしない」。
小は煙草・缶コーヒー一つから大は結婚・住宅購入まで、今必要な事を選択し実行する。
だが、大いに悩むのはやめた方がよい。
選択に時間を掛けても、得られる結果と価値はそれ以上に大きくなる事はないが、時間が経てば効果は確実に薄れていくからだ。
即断即決と熟考を臨機応変に使い分ける。
これくらい器用でないと、チャンスを逃す事も多分にある。
だが、判断は自分の蓄積してきた知識の範疇でしか行えない事を覚えておくこと。
それは、失敗回避の最も有効な手である。
その為に必要な知識と情報は常に自分の手に届くところに置いておくことが肝要であろう。
情報は常に流れているし、チャンスは一度逃したら二度とない場合が多い。
だが、必要な情報には常に裏がある。
それが、良いか悪いかを嗅ぎ分ける嗅覚の鋭さは知識と経験に裏打ちされたものでなければ意味が無いし、情報としては役に立たない。
よく云う「インフォメーションとインテリジェンスの違い」である。
インテリジェンスを嗅ぎ分けられ、更にそれを有効に利用出来る環境の構築がお金を身に付ける体質にしていく。
お金はそれを得ようとするヒトについてくる。
それは守銭奴とは違う。
得ようとする努力をすれば、お金は自分の周りに集まってくる。
お金を掛けた生活は収入がある者ならば誰にでも出来る事だが、蓄え、増やし、更にお金を掛けて生活するのは、一部のヒトのみである。
スカルはまだまだ、前者の方なので、お金に関しては、まだまだ素人・・・。
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